人のふり見て・・・ASDの娘の将来を案じる

ブラインドの隙間からのぞく女の子 ASDの娘と向き合って
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 身近な人に、きっと発達障害だろうな、と思う人がいます。

子どもの学校関係で役員のようなものがあり、彼女にも係の担当を任せたのですが、これが大変なことになっています。

発達障害の人が社会で集団に参加すること

彼女の暴走と周囲の反応

 たとえば、今日の出来事・・・・

 役員に参加している保護者、それぞれに係があり、担当があります。
しかし、彼女はなぜか彼女が担当しているのとは全く別の係で、その担当者を差し置いて、彼女がするべきではない物品の購入をしてしまった。
周囲に相談がなかったのでモノがダブった。

完全に彼女のフライングで、暴走。
きっと彼女は、モノが届いたその時点で自分のミスに気づいたのですが、指摘されて予想通りの逆ギレ。
泣いて自分にミスはないと。
挙句にグループLINEから突然の退会。
彼女の言い分は、

「前年度の責任者となら上手くできていた。自分だけがはじかれている。悪意がある。
係の担当はこれからもするけど、必要性を感じないのでグループLINEからは退く。
必要な時に(グループLINEに)また入るから、私のことは構わなくていい」

巻き込まれたみんなは、これまでも再三にわたってトラブルを起こし、乱してきた彼女なので、正直

「(係の担当を)やめへんのか~~~~い!」
「『必要な時に(グループLINE)に入る』って、誰かの招待が必要だろがっ!」

と、諸々を内心思っています。
でも、それは口に出さず、
・今回の騒動の結末(ダブったモノ)をどうするか
・退会とかそんなこと言わずに、割り切って役員はやっていこうとなだめたり
・役員担当の再確認と、スムーズに連絡ができる方法を見直そう
と、建設的な意見を交わそうとしましたが、機嫌を損ねてしまった彼女は、結局グループLINEを退会することに・・・。

この問答は夜中まで延々続き、責任者の方は、もうメンタルやられてしまって・・・。

私は、この団体の中では、いわゆる振り回される側の人間になるので、みんなの話しを聞いたり
「そうだよね、理解できないね」とみんなに同調しているのですが、実は、彼女の言動は大体想像できるので、そのほかの皆さんは怒りまくりなんですが、私はなんだか落ち着いている。

だって、娘との経験から彼女が言いそうなこと、起こしそうな動作、怒りのスイッチがだいたい想像できる。

これも、娘との特訓の成果・・・あはは。

人のことは分析できるようだ

 実は、彼女が「発達障害かな?」と感じた頃、娘にLINEの内容を見せました。

娘は、他者視点のない、自分しかない彼女のグループLINEのやり取りに
「この人、きっと何かあるよね~。考え方が、私が暴走するときと同じだもん。コントロールできてないよね」と。

それ以降、娘に度々、彼女がぶち込むLINEやその日あった出来事を相談していました。

「どういう気持ちでこれ言ってるのかな?」
「なんでこんな風になっちゃうの?」と。

そんな私の相談に娘は、
「それは、答えが欲しくて聞いてるんじゃないから、ほっといて大丈夫」とか
「あらら~、もう折れどころが見えなくて、自分でもどこが着地点かわからなくなってるね。」
と、冷静な分析で助言してくれた。

娘の言葉を聞いて「人のことなら見えるのね、わかるのね」と可笑しくて🤣
娘は不貞腐れながらもふたりで笑ったりもしました。

 私にはそんな裏側視点があるので、責任者の方やその近くにいる人たちが、彼女が見ることのできない視点を必死で説明したり、認めることのできない彼女のミスや落ち度をここぞとばかりに指摘して認めさせようとしているのを見て

「そんなことは無駄なのに」
「脳みそのなせる業だから仕方ないのに」と思います。

そして、空気の読めない、認められない彼女に、皆さんがどれだけ束になってかかっても勝ち目はなし。

疲弊していく周囲とは裏腹に、彼女は最強で、輪を乱しまくくって、自分だけが被害者と信じ込んでいく。

そうなればなるほど、周りとの溝は深まっていくのです。

娘と彼女が重なる

みんな大人だから、なんとか子どもたちのために、大人が揉めることのないように、うまくやって行けるようにと努力しますが、木っ端みじんに砕かれる。

でも、周囲を蹴散らせば蹴散らすほど、彼女は孤独になっていきます。
彼女も悲しんでいる。

そんな彼女を見ながら、それが、娘が当たるかもしれない、当たってきたかもしれない状況だと思うととてもつらくなります。

彼女も、周囲の人たちも、どちらも不幸。

 娘は、攻撃性は少なくて、どちらかと言うと言いたいことが言えなくてストレスをためてしまい、家で爆発させるというタイプなので、外での摩擦は少ないのかもしれませんが、思考や言動に大きく差はないので周囲の人に抱かれる感情に差はないと思う。

 そして、私は彼女の言動に振り回されている皆さんが言っている、怒っている内容を聞くと、こういう風に思われるんだな、こういう風に怒られるんだな、こんな風に嫌われるんだな、と実感します。

母親としては、娘がこんな風に見られたくないし、やっぱり好かれてほしい。
みんなに好かれなくても嫌われないでほしい。

そう思うよね

社会の中で

 長男が言う。

「俺たちは配慮するばっかり。その人にとって「難しい」ことかもしれないけど、こっちも難しいことをどうにかやろうとしてる。『難しいんです』『無理なんです』って言われるばかりで、こっちも困る」と。

でも、無理なんだよ。
でも、長男が言うことも抱く感情も正論で「そうだよね」とも思う。

今は、発達障害も社会的に認知されて、幼少期からの支援も配慮されることが珍しいことではなくなったが、学校を出てしまうと、社会ではやっぱり波は厳しいのだ。

彼女を見ればわかる。

長男が言うように、配慮される側(当事者)が「配慮されているんだ」「配慮されているおかげなんだ」と、自覚することがとても大事だと思う。

「配慮されることが当たり前」では、通り一遍の配慮は受けられても、本当に寄り添ってはもらえない。

でも、実はそこが本当に難しい。
「あなたが弁償するのが当たり前で、一番の解決策なんだよっ!」と、みんな言わずに、解決策を探していることに、いつ気づくのか・・・・きっと永遠に気付かない、気づけない。

娘には、社会にでるまでのあと数年の間に、その意識を持ってほしいと願う。

申し訳ないけど、彼女の騒動を娘に相談しながら、娘がそこを読み取れるように努力していく。

 ここまでお読みいただき、ありがとうざいました。
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